実務プロコース第 9回目:スタッフをどう教育するか?
第09回目:スタッフをどう教育するか?
こんにちは、AA(前田紀貞建築塾 塾生連盟)です。
そろそろ、実務プロコースも中盤に差し掛かりました。
これから益々、エンジンがかかってきそうです (^_^)v。
さて今回は、前田紀貞塾長が講義をします。
本日のテーマは
スタッフ教育をどうすればいいのか?
の回です。
ただし、これは建築の技術的な教育ではなく、
人間としての質への諭しのことです。
そしてその対象は「小規模 アトリエ系事務所」に限っての話です。
前田塾長が言うには、スタッフ教育には幾つかの要がある、とのこと。
最初に十三の項目が挙げられました。
①:徒弟制度
②:人生に対しての責任
③:親子関係・継承(末代)
④:余命
⑤:筋道と情
⑧:別に工夫なし
⑨:八十歳から振り返れ
⑩:世界(未だ見ぬ世界)を創る
⑪:強制
⑫:師
⑬:水の如し
これらについて、順繰りに話が進みました。
①:徒弟制度
大組織でないアトリエ系の設計事務所(建築家)の多くは、未だ徒弟制度のなかにあります。
時代は、コルビュジェ、カーン、ライトの時代から変わっても、この点だけは未だ健在のようです。
例えば、「オープンデスク」という制度は、日本語で言えば「書生」です。
「書生」とはそもそも、
「他人の家に下宿して家事や雑務を手伝いつつ、勉強や下積みを行う若者」ですから、
この“他人の家”を“事務所”へ置き換えれば、
成る程、これが「オープンデスク」ということになりますね。
大組織設計事務所には無いこの習慣が、何故、小規模事務所には残っているのでしょうか?
そうです、それが二番目の
②:人生に対しての責任
です。
大組織設計事務所では、
社員・従業員の「経済」に対して責任を持ちますが、
小規模のアトリエ系事務所では、このことはなかなか困難です。
何故なら、小規模アトリエ系事務所の一番の価値感は「利潤」には無いからです。
つまり、高い利潤を得ることを目的にしていない (-_-;)
本来は株式会社とか有限会社という名前で仕事をしているのですから、その本分は「利潤」にある筈なのですが、、、、、
建築関係者であれば誰もが知っているこの状況、ここが難しくも魅力的なところです。
対して、大組織事務所の一番の価値感は「利潤」です。これは何もおかしいことではないどころか、全く資本主義社会のなかでは普通のことです。
でも、、、、、、、アトリエ系事務所はそう考えないところが特殊であるし、ある時には厄介でもあり、私としてはそれ故にアトリエ系事務所を志望したともいえます。
つまり、「利潤」より「建築の創作」に重きたい、という考えです。
無論、大組織設計事務所でも、ある部分でこのことに変わりはないのですが、
アトリエ系事務所では、“それが特別に大きい”ということなのだと思います。
では、アトリエ系事務所がスタッフの何に対して責任を持つのか、といえば
それは、彼らの「人生」とか「生き様」へ、ということになるでしょう。
となれば、自ずと「所長とスタッフ」は
必然的に、親子関係に似てくることになります。
ここから次の
③:親子関係・継承(末代)
の話へ続きます。
伝えたいこと/残したいこと……、そんなものがあれば、どうしても末代まで伝えておきたい受け継ぎたい、
というのが親子の自然な感情でしょう。
アトリエ系事務所の所長はスタッフ(子供)に関して、強く強く、そう思い痛感するという事実は、
日々、アトリエ事務所にいる者であれば誰でもが感じることでしょう。
教育とか継承ということに関して、
それが自分の子供であれば、親というものは決してそこで手を抜くことはしない筈だ
と塾長。
そういう気持ちで、アトリエ系事務所の所長とは、スタッフたちに接するものだということです。彼らが、自分の息子であり娘である、と。
だから、決して妥協することもしないし、諦めることもなく、見放すこともないのでしょう。もしかしたら、通常の血縁関係よりも深いものがそこに顔を出してくる時すらあるのかもしれません。
そう考えてのお互いの付き合いであり、師からの諭しなのだと思います。
かつて「師」というものは、
自身がそうであるとは公言せずとも、自然とその人の廻りに教えを請う者たちが集まった、そういう人間のことを言いました。
でも今は、教育制度のなかで教育というものは「免許」制度になり、「免許」さえ取得すれば次の日から「先生」になることができてしまいます。
寺小屋とは、そうなってしまう以前を体現していた教えの場なのだと、塾長はいいます。
だから、アトリエ系事務所は書生の集う寺小屋のようなものともいえるかもしれません。
そこで、日々、父親(母親)の背中を見て、末代までの建築への「人生」や「生き様」を学ぶ、
そういう活気のある道場のようなものです。
④:余命
さて、前田塾長がそんなことを強く思うようになったのは、
二十代の時、あることが原因で死を覚悟せざるを得ない状況に到ってしまったから、という話が紹介されました。
塾長は幸いにもそこで命を落とすことはありませんでしたが、その時、
「今この瞬間を丁寧に生きること」、そして「末代まで何かを継承すること」という、
相反するものの大切さを知ったといいます。
前者を「情」 (母親的なもの)
後者を「筋道」(父親的なもの)
といいます。
「人生も建築も、
この相反する両面が無いとそれが本物になることがないんだ」
とのことです。
いずれにせよ、両親からいただいた生を悔いなく全うすること、
・命はあるうちに使っておこう、
だからこそ、
・今迄あった建築の焼き直しをして人生を終えるのではなく、「未来の建築」に少しでも貢献し、それを全うできるようにしよう、
ということでした。
実は、この前田紀貞建築塾というのも、
後者の視点(末代への継承)から創設されたものであったそうです。
そうか、、、、、
次の話は、この「情と筋道」について少し詳しくです。
⑤:情と筋道
中国の古に、「五常の徳」というものがあります。
それは、
仁 義 礼 智 信
というものです。
詳細はネットとかで調べればわかりますので省略しますが、
要はこの最初にある
「仁」と「義」
です。
「仁」とは、プライベート(私的な)なルール(道)のこと・つまり情
「義」とは、パブリック (公的な)なルール(道)のこと・つまり筋道
のことです。
前者は、母親が抱きしめ包み込むような深い情
後者は、父親が教え諭すような太い筋道
をいいます。
これについてはいつも、前田塾やアトリエのなかでは度々 言及され、
一瞬一時これらの視点から「私と世界の秩序」を考えなさい、的なことが言われます。
これは人生のことだけでなく、建築が創られる際にも全く同じ様に当てはまります。
「筋道」とは社会の中で生きてゆく為の、人としての方位磁針のようなものです。
例えば建築なら、これを、思想、デザイン、実施図面、現場監理、アフターフォロー、、で貫徹しようとする意志をいいます。
前田塾長は、こうして少しずつだが建築に向かう自分を精進鍛錬する努力をしてゆくことで、
・人間(生き方・判断・論理)から雑さが消える
・職業(思想・デザイン・技術)から雑さが消える
・世界との付き合い(人との互い・調査・折衝)から雑さが消える
といいます。
しかし同時に、
「ただ、本当に難しいのは情の方だよ」
とも付け加えられました……。
正直私たちにとっては、
「筋道」というものの方がなんか難しそうに思えてしまい、
「情」の方はなんとなく易しそうに思えてしまうのですが、、、、、
このへんは、私には実感としてはまだまだわからないところです。
確かに、
「仁 義 礼 智 信」
で、最初に来る文字は「仁」(情)なのですよねえ、、、、、
最後には人を「信」じ、人から「信」じてもらえることへ到るのでしょうが、
最初はやはり「仁」なのですね、、、、
もうひとつ、
「犬は “仁”がそのまま “信”になる、だから犬になるといい (^_^)」
というトンデモ話も出ました。
これはわかりやすい、、、、
でも、言葉ではわかりますが、本当に犬のようになるのは実はとても難しいことではないでしょうか……
また、
この情(仁)と筋道(義)は、相反するものでありながら、
メビウスの帯みたいに、捻れて「一」になるものである
上の絵でいえば、赤が情、白が筋道です。
そんなことも紹介されました。
赤は赤のまま、白は白のままですが、「一」の面として一緒になっています。
例えば、
・朝、事務所で「おはようございます」と言うこと
・朝、事務所の掃除をすること
というものは、普通は「筋道」(公的なルール)の方に入ると思われているかもしれませんね。
「マナー」という意味で。
でも、塾長は
「それこそが正に“情”なんだよ」
と言います。
その心は、、、、、???
「挨拶をする」というのは、書生たちが諸先輩方のことを「好き」(情)だから、
成される行為ですね。だから、また今朝もこの人と会えて嬉しい、そんな気持ちの嬉しさと清々しさの現われです。
犬が、朝、起きた時に尻尾を振るみたいに。
或いは、「掃除をする」も同じで、これまた書生が諸先輩方のことを「好き」(情)だから、綺麗な机で仕事をしてもらいたい、というふうに思うからです。
そう考えると、
朝にコーヒーを入れてお出しすることも、夜に酒の肴を用意することも、打ち合わせに車で送迎することも、それらすべてが「情」というものから来ていることはわかりました。
実はそういうことは、建築だけでなく、人生すべてのことに当てはまると、塾長はいいます。
例えば、子育てとか夫婦の仲のこととか、、、、、
これは、その時になってみないと私には全くわかりませんが (-_-;)
それともうひとつ、
「女の道」とは、男のそれより遙かに困難であるという話も出ました。
要旨だけ紹介しますと、「女性」と「女」は違うという話です。「女性」は生物学的な分類ですが、「女」は精神的な分類だと。
しかし、これは「男」(と男性)に関しても同じですが、「女」の場合は、更に困難極めるんだ……、ということでした。
だから、塾長は
「女性をしっかりと教え諭すことのできることは、未来の日本(その女性の子供たち)へ教えを継承することであると考えられるからとても有益なことなんだ。だから僕は、女子大の先生になってみたいんだ。」
と言います。
塾長が女子大の先生になりたいのはわかりますが、この理由はホントなのでしょうか???余計な話でしたね
ただこれ以上は、私がうっかり書いてしまうと言葉を間違えてしまいそうなので、辞めておきます (-_-;)
で、これに続くのが、次の
⑧:別に工夫なし
です。
これは夢窓疎石(禅僧・作庭家)の書からの引用です。
「別に工夫なし」
この意味は、「別に工夫なんてしなくていいよ」ではなくて、
例えば、作庭(ランドスケープデザイン)をする際、
それを極めようと思うのであれば、作庭だけを特「別」に工夫してはいけ無い、
その他すべての所作のなかに、作庭という行為の根はあるのだ
ということのようです。
つまり、あることを極めようとするなら、
世界のすべてと関われるようになる姿勢、
これこそが要であるということです。
だからこそ目を配るべきは、
挨拶であり、掃除であり、炊事であり、洗濯であり、オートバイに乗ることであり、教育であり、犬の世話をすることであり、子育てであり、、、、、
という、世界の一切なのでしょう。
建築だけに特別な目を向けているだけでは視力が良くなる筈もないのでしょう。
「真の意味での建築とは、技術やテクニックの披露ではないんだ。
そうい一切がすべて関わり合っているこの世界の様のことがわかって始めて、それに関わる資格ができるものなんだよ」
と前田紀貞塾長はいいます。
では、そんな時、具体的にどのような判断基準を持っていたらいいのでしょう。。。
それには、今迄話にあった幾つかのことを実践してみることも大切ではあるでしょうが、その「判断基準」になるひとつの秘訣についての話がありました。
それが、
⑨:八十歳から振り返れ
です。
今日の今のこの瞬間、
「これはしておいた方がいいのか?しないで済ませられるか?」
などと私たちは考えます。
例えば、昨晩、私は徹夜が続いてどうしても眠かったので、
日課となっていた「10ページ読書」をしないで寝てしまいました (-_-;)。
“その日”という「日計」(その日の計算)という点では、
私は眠さに負けてしまい、しないで済ませてしまいました。でも、寝床に付いた時の心地よさたるもの、なんともいえぬ幸福感でした。
恐らく、母親(情)の「あんた今日はもう寝なさいよ (^_^)。明日やればいいから。」という声を、耳が聞いてしまったからだと思います。
でもこれを、自分が八十歳になった時点から振り返ったとしたら、その時、八十歳の自分はどう思うでしょうか、、、、
恐らく、人生でそんなことばかり続いていると、
「ああ、あの時、もう少し頑張っていれば、人生であと100冊は本が読めたのに……、それを建築の糧にできたのに、、、、、」
と思い必ず後悔することになるでしょう。
だから父親の
「おい、おまえそんなことくらいで寝とったら、志である建築はどうなるんだ (-_-)。人生そんな甘いもんじゃないぞ!!」
という声を、無理矢理にでも聞かなければいけないと思います。
つまり、情に溺れ情にほだされていたら、歳計(一年としての計算)が足りなくなってしまう、ということです。
日計足りて歳計足りず
です。
人生の岐路の判断なんて、毎日のようにあります。
・「今考えたことを誰かにどこかで発表した方がいいのか、それともまだ時間をかけて検証して正解になるまで待っていた方がいいのか」
・「次の休日には疲れているから一日寝ていようか、それとも、講演会に足を運ぼうか」
或いは、かつて塾生であった私が感じていたことなんですが……、、、、、、
・「前田塾へ入塾してみようか、でも入ってら優秀な人たちばかりで大変そうだからやめておこうか、、、、」
そんな分かれ道が沢山あって、本当にいつもクヨクヨした人生の分岐点の判断で悩みます。
塾長は、
「ウジウジしていてやらないより、やって失敗した方がいいに決まっている。
やってみて失敗した記憶より、しなかったことへの後悔の方が遙かに辛いもんだよ」
と言います。
いずれにせよ、「自分が八十歳の時点から振り返った時」というのがひとつの判断基準になることはわかったように思えます。
一応、先の「母親の声・父親の声」ですが、その反対もある、と聞きました。
八十歳の自分が、「あの日は寝てしまってよかったんだ」(情の声)と思えるなら、そっちを取ればいいということ。
このどっちを取るかですに「正解」はありません。
いずれにせよその判断は、
「今日の自分」でなく「八十歳の自分」にしてもらえばいいんです。
少しわかるように思えます。
でも、なんの為にそんな厳しい鍛錬を、自分に課してゆくのでしょう、、、
ふと、私もそう思うときがあります。
それに応えて塾長は、
それは私たちが、人間として、そして建築家として、
⑩:世界(未だ見ぬ世界)を創る
、このことへの使命を負い、そういう存在価値を持ってしまっているからだと言います。
初回に話が出たように、
そもそもの「建築」という言葉は、
ギリシア語の「アルケー」(原理)と「テクネー」(技術)から来ていましたね。
「建築」とは「原理を知る技術」だった訳です。
ということは私たちは、そうした生き様を引き受けてしまった、ということになります。
「ええ、、、そんなこと知らなかった……」では済まされません。
自分が知っていたとか知らなかったに関わらず、あるいは、好きとか嫌いとかに関わらず、もう既にそういう職業に足を突っ込んでしまっているのですから。
因みに建築家とはかつて、今の様な「建物を作る技術者」ではなく、
もっともっと大きな意味でのそれでした。
だから建築家は、建築だけでなく、ランドスケープも彫刻も詩も音楽も作りました。「異種格闘技」でした。
だからそこから生まれ出るものを、(未だ見ぬ)「世界を創る」というのでしょう。「原理」とはそれを支える方位磁針でした。
そういえば、正に上の「異種格闘技」は先の
「別に工夫無し」(作庭だけ特別に工夫せず、世界のすべてを知るように)
と同じではないでしょうか。。。。
更に言えばこれは、禅の思想の「一如」と通じるものもあると考えてよい、とのことです。
ただ、こちら東洋で言う「原理」とは、西洋の「原理」とは少しばかり違って、それは「道」(どう)と呼ばれるものとのことです。
こちらの「原理」とは老子が言うようなそれ、とのことでしたが、私には全く理解不能でしたので、ここでは書けません、、、、、 (-_-;)
なんとなくわかるのは、それが水のようにあるがままであることです。
あるがまま、が原理……???
いつかわかるようになります (-_-;)
ちなみに「老子」という本は、とても短く簡単に読めるとのことでした。
いずれにせよ、下の幾つかの塾長のブログを時間のある夜にでも読んでみてください。
仏教と科学(矛盾は善か悪か……) 前田紀貞の建築家ブログ/ウェブリブログ
建築を志す人たちが知っておくべき「建築」の原理原則 No1 前田紀貞の建築家ブログ/ウェブリブログ
建築を志す人たちが知っておくべき「建築」の原理原則 No2 前田紀貞の建築家ブログ/ウェブリブログ
建築を志す人たちが知っておくべき「建築」の原理原則 No3 前田紀貞の建築家ブログ/ウェブリブログ
さてここで、スタッフ教育、ということへ少し戻ります。
前田塾長がスタッフや塾生たちを諭す時、
塾長のなかに普通の人と違うように思う点があるように思えます。
それが、
⑪:強制
ということです。
今、世の中では
「Aは正しいのだがBも悪くない、Bも良いがCも間違ってはいないよ」
といった「相対主義」がいたるところで目にされ耳にされます。
それがあたかも、物わかりの良い大人であるかのように。
この「相対主義」的考えは、本当に鍛錬した人がそれを言うのであれば、
先の「異種格闘技」となります。
建築が「原理を知る技術」であること、「別に工夫なし」、老子の「道」のように。
ただそれが、未成熟なまま不用意に扱われてしまえば、それはただの「ごった煮」に過ぎない、と塾長は続けます。
その違いは紙一重ですが、言わんとすることは全く逆とのことです。
だからこそ塾長は、
そうした間違った「相対主義」的なことをやっていると、
あるいは、
わかっていないのにわかった気になって「相対主義」を扱っていると、
最後には自分の想定すべき筋道(義)など無くなってしまうものだよ、といいます。
ここで大切なのは、
塾長の言う「相対主義」と「強制されるべき筋道」とは、決して矛盾しない、
ということのようです……。
これに関しては、上の幾つかのブログを読んでみてください。
私もなかなかわかりにくいところなんですが、要は「情と筋道」という相矛盾するものどうしが、メビウスの帯のように捩られ「一」になるのと同じように、「相対と絶対」も一になる、ということのようです。←このことが超越論的眼差しということなのだと思っています ???
で、この「一」になることの意味が、ただ妥協とか和解であると解釈するのが、「わかっていないのにわかった気になった「相対主義」と塾長は言いたいのだと想像します。
それらの極点はあくまで最後まで、矛盾しながら共存していなければならないとなるのでしょう。赤/白のメビウスの帯がピンクになることがないように。
因みに、自身が想定する筋道(義)とは、建築への人生へのビジョンのことです。
もっと言えば、生きることの背骨みたいなものです。だからそれは確固としている必要があります。
それはその人の中では不動のものですが、でも同時に、
その筋道(義)に「唯一の正解」ではないこと、これを教わりました。
「私の筋道」も「あなたの筋道」もあります。
建築でいえば、建築の世界観に「正解」はないということとも一緒ですね。
でも、私たち自身はだからといって、今日はこっち、明日はあっち、というのではいけない、と教わります。
私は私の筋道として一貫したものがあることが大切なのです。
「君のも良いけど、私のも良いよ」
というのは事実ですが、それは「どっちでもいい」を言っているのではない、ということ。
これは大切な気付きです。
なのに、一見した「相対主義」(私もあなたは違っていて良い)気取っている今の世の中で、
実は誰もが(たった一つの)「正解探し」(私とあなたは同じになりたい)をしようとしているという、(悪い意味での)「矛盾」が目に付く昨今といえます。
試験会場で“正解探し”をする者は、必ず 隣の人の答案をカンニングしようとしますね。
それは自分自身の不動の剛なる道筋(答)がないから、
隣の人の道筋をカンニングして「正解は②である」と模写してしまうのです。
塾長は言います、
「隣の答案が②であるなら、自分は②だけは絶対に書かないようにしてやろう」
「周りが皆②であるなら、自分が書いた②を消して⑤を正解にしてやろうと覚悟することだ」
と。
そういうある意味のジコチューの姿勢こそが大切だといいます。
そしてそれは、時には不合理に見えることもある、とも。敵を作ってしまうことにもなりかねない、と。
でも、それに臆病になってはいけないとも加えられます。
これは、未来の建築、未だ見ぬ世界観へ到達しようとする人の眼差しとして、
それを何とか実現させる為にはどうしても欠かすことのできない強い精神性なのだ、
そういうことを言いたかったのだと思います。
だから塾長は、(まずは)「強制しなければならない」といいます。
「あれもいいが、これも悪くない」的な教えでは、教えを受ける側は迷うだけなんだ。
だからまずは、「左の道が正解である」という筋道を教えてみる。
そしてその後、その本人に人間力や本物の知性が育ってきた時、
その時 改めて己の行く道を微調整すればいいのだろう。
次に、剣道の道場によく貼ってある
「守 破 離」(しゅはり)
の意味について説明です。
これは、
・まずは師の教えを「守」ること
・次に、それを「破」ろうとしてみること
そして最後に
・そこから「離」れようとしてみること
で、剣の道の教えそのものです。
でも、今の時代の匂いは、「守」も満足にできないまま早々に、
「離」へ移ろうとしようとしているように、この駆け出しの私にすら映ってしまいます。
でも、これだけは私が思うことですが、
「守」を極めようとした経験の無い人間というのは、根無し草のようなものではないか。
「根」がしっかりしているからこそ、師とは違った「花」を咲かせることができるのでへないか。
ということ。
「根」が無いものは「造花」でしかないわけですね。
或いは、自分で勝手に「破」とか「離」の境地に到ったんだ、と思っていても、
結局は師の掌のなかで人生を模倣に生き、たかだか紛い物の建築を作っているに過ぎないように見えてしまうのです。孫悟空みたいです。
だからこそ、私たちスタッフや塾生 自身が「根」をしっかり据えるとはとても大変なことで、
それこそ、私たち書生が日々格闘している試練なのだと、
自分では納得しています (^_^;)。
ところが、、、、、、
塾長自身も
「僕は未だ “守” のなかに居るんだ」
といいます。
は、、、、、、、、 (-_-;) (-_-;) (-_-;)
時として、塾長はこういうことを言いますから、
自分としては少しは追いつけたか……と思っても(いや、思ってません……すみません (-_-;) )、
そう思った時には、遙か先を歩いていることを痛感します。
守(建築家 増田友也先生へ) 前田紀貞の建築家ブログ/ウェブリブログ
このへんでまとめに入ります。
では、師とはスタッフたちに対してどうあればいいのか?
⑫:師
塾長は、
師とは“技術のある者”のことではないんだ。
そうではなくて、(建築で・人生で)「そこまでやっていいんだ」というお手本を背中で見せられる人間のことなんだよ
と括ります。
僕たちは、先生とは技術のある人、それを教えてくれる人だと思いがちですけど、
そのようなものはいつか消えて無くなってしまうものかもしれません。或いは、そうしたものは、簡単に人に譲り渡すことができてしまうものかもしれません。
でも、塾長が言いたいのは、
「簡単に人に譲り渡すことができないもの」
「それでも残るなにか」
についてではないでしょうか。
であれば、技術とかテクニックといった「枝葉」を手にしようと躍起になるのではなく、もっともっと「根」にある何かについて、
これからの日々、思い切りこの前田紀貞建築塾で養分を吸い取ってみたいと、
私自身は思ったりもします。
でも、そういう人生の方が、なんか無茶苦茶で面白いのではないかと思ったりもします。
どうせ人生一度きりですから。
で、最後。
⑬:水の如し
「とりあえず建築塾のもとで、
(建築と人生の)「筋道と情」の作り方のトレーニングをしてみることだよ。
でも最後には、それらをすべて綺麗さっぱりと忘れてもらいたい。水の如し、で。
最後の道は、自分自身で作るものだから。」
とのことでした。
締めくくりとして、
(建築には・人生には・世界には)「正解はない」ことを前提にしながらも、まずは「正解」を示してみようとする。
そしてその後で、
「正解はない」ことを改めて自身でどう相対化できるか。
(建築には・人生には・世界には)「正解がないこと」を「正解」にして終わりでは世界は見えてくることはこないんだよ。
だから、水の如し。
こういうところから、塾長のいつもの
色即是空 空即是色
(般若心経)
身心脱落 脱落身心 脱落脱落
(道元)
は出てくるのでしょう。
はい、今回は私自身、かつての塾生、そして、現在はスタッフでもあるので興味津々の回でしたが、とても楽しい時間でした。
ありがとうございました。
(前田紀貞建築塾塾生団体 AA)
前田紀貞アトリエ
http://maeda-atelier.com/